リソースページでは、第二次世界大戦における南太平洋でのジョン・F・ケネディの活躍や、大統領任期中の日米関係の歴史について詳しく読むことができます。また、当館所蔵の写真、映像や遺品を閲覧したり、ケネディ大統領による最も歴史に残る演説5本を日本語翻訳で読むことができます。

ジョン・F・ケネディと日本

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ジョン・F・ケネディは1941年海軍に入隊、第二次世界大戦中、南太平洋ソロモン諸島に出征、パトロール魚雷艇(PT)USS PT 109の艇長として、初期の連合軍共同作戦に出撃した。1943年8月2日、PT 109は日本海軍の駆逐艦「天霧」と衝突、乗組員全員が海に投げ出された。15時間の漂流後、負傷者1名を命綱で引っ張って泳いでいたケネディ中尉を含む生存者11名は近くの小島へ漂着した。ケネディ中尉がメッセージを刻んで島民に

託したヤシの実が、連合軍の手に渡り、1943年8月8日全員が無事救出された。乗組員を助けた勇気とリーダーシップによって、海軍・海兵隊勲章およびパープル・ハート勲章を受章した。詳しく読む

ケネディ大統領の歴史に残る演説

ケネディ大統領が行った最も歴史上重要な演説の中から5本を、日本語の翻訳で読むことができます。

グレーターヒューストン聖職者協会での演説、1960年9月12日

アイルランド系カトリック教徒は19世紀後半には地方および国家政治において重要な役割を担うようになっていましたが、カトリック教徒として初めて国政選挙に立候補したのは、人気の高いニューヨーク州知事のアルフレッド・E・スミスで、彼は1928年に民主党の大統領候補に指名されましたが、カトリックに対する偏見や、カトリック教徒が大統領になると法王の言いなりになるという恐怖心により、スミスは選挙に敗北しました。カトリック教徒の若き大統領候補はカトリック教会の影響下に置かれ、この国がワシントンにいる大統領ではなく、究極的にはローマにいる法王によって運営されてしまうのではないかという懸念をアメリカ人が未だに抱いていることを、ジョン・F・ケネディはすぐに察知しました。この理由から、一部のアメリカ人はジョン・F・ケネディを支持しないことを誓いました。政府が宗教的利益により過度に影響されるという恐怖は現実的であり、このカトリック教徒の候補にとって明らかなマイナス材料になりました。ジョン・F・ケネディは、1960年9月12日にテキサス州ヒューストンのグレーターヒューストン聖職者協会で演説し、この問題に正面から対処することで打破を試みました。詳しく読む

大統領就任演説、1961年1月20日

厳しい真冬の冷え込みに包まれた1961年1月20日、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディはアール・ウォレン最高裁長官の立会いで就任宣誓を行い、第35代アメリカ合衆国大統領に就任しました。43歳だった彼は史上最年少で、アイルランド系カトリック教徒として初めて選出された大統領でもありました。これは、20世紀に生まれた若きアメリカ人として初めてこの国家のリーダーとなった彼が新たな時代の到来を告げた演説です。詳しく読む

ケネディ大統領による1961年の就任演説を、日本語字幕付きでご覧ください。
 

ワシントンDCで行われたジョン・F・ケネディ大統領の就任演説の映像。この演説でケネディ大統領は、「国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ」と力説し、アメリカ国民が公共のために奉仕するよう促しました。

日付:1961年1月20日

アメリカの宇宙事業に関するライス大学での演説、1961年5月25日

ジョン・F・ケネディが1961年1月に大統領に就任した際、アメリカ人はアメリカがソ連との「宇宙開発競争」で差をつけられていると感じていました。このニーズを認識したケネディ大統領は、ソ連に匹敵するだけでなくそれを凌駕するビジョンを抱いていました。1961年5月25日、彼は連邦議会で「この国は、1960年代が終わる前に人を月面上に着陸させ、無事地球に帰還させるという目標達成に向けて取り組む決意をすべきです」と宣言しました。1962年9月12日、ケネディ大統領はテキサス州ヒューストンのライス大学のフットボールスタジアムで3万5000人の聴衆を前に演説し、この国家の宇宙事業に対する彼の目標を掲げました。詳しく読む

アメリカン大学学位授与式での演説、1963年6月10日

1963年の春、米国の対ソ連関係に何らかの動向があることを察知したケネディ大統領は、「平和演説」を行う機会を模索し始めました。アメリカン大学で1963年6月10日に行われた学位授与式での演説で、ケネディ大統領は、ソビエト連邦がアメリカ合衆国と共に核実験禁止条約を実現させ、国際的な緊迫状態と当時実在した核戦争の不安を緩和するために協調するよう働きかけました。彼はロシアとの新たな高レベルの軍縮交渉を公表し、大胆にも冷戦を終結させるよう呼びかけました。ソ連政府はケネディ大統領による演説文をすべて翻訳して放送し、政府により統制されていたソ連の活字メディアがこれを掲載することを許可しました。詳しく読む

アマースト大学での人文科学に関する演説、1963年10月26日

美しい秋の深まる1963年10月末のある土曜日に、ケネディ大統領はマサチューセッツ州のアマースト大学に空路で到着し、同年1月に死去した詩人ロバート・フロストを称える追悼式に参加しました。大統領は、就任式でこの詩人が読み上げた詩のテーマと、ロバート・フロストが米国と世界にもたらした威力と重要性について語ることにしました。任期中の1000日間で、大統領と大統領夫人はこの国の文化的および知的な活動に対する関心を刺激し、復活させました。1963年10月26日になされたこの演説で、ケネディ大統領は、国家がその国力だけでなく、文化によっても自国を代表する必要性があることを明確にしました詳しく読む

JFKと日本

06 JFK artifact in Navy uniform

第二次世界大戦に南太平洋で米国海軍の軍務に服役中のジョン・F・ケネディ、および大統領任期中に日本からの要人と会談するケネディ大統領の写真をご覧ください。